『猟奇的な彼女』はやっぱり面白い、
そんな話を先日お客様から聞いた
私はラスト15分くらいしか観ていないので
ハッピーエンドというくらいしか知らない
20年近く前の映画なのに
今も語り継がれるコリアンラブコメディとはどんなものなのか、
妙に気になったので年甲斐もなく観てみた
危険な映画である
彼女はキレイ過ぎるし、
彼はイイやつ過ぎる
力技と言えなくもない偶然に
んなことあるかいな、と思いつつ
んなことあるかもとも思ってしまう
現実でもこんなことあるんやなかろうか、
いや、あるかもしれない、
そんな妄想族を増やしかねない、
という意味で危険な映画である
そしてとっても、楽しい映画である
映画『オデッサ・ファイル』がBSであったので観た
フォーサイスのサスペンスが原作である
なぜ主人公はここまで執拗にオデッサを追うのか?
売れないフリージャーナリストが
人生の逆転を狙ってのことなのだろうか?
そんな思いを悶々と持ちながら観ていたのだが
意外なカタチでそのタネが明かされた
いろいろ突っ込みたくなるところもあるにはあるが
この手のサスペンスにケチを付けたらキリがない
60年代のドイツを舞台にした70年代の映画とあって
街の風景や車など、
絵に独特のカッコよさがあった
ジョン・ボイトの憂いある表情もまた良かった
しんどい映像ばかりである
人はこれほどまでに残酷になり得るのか
ポランスキーのこの映画に対する意気込みは
さぞや相当なものであったのだろう
悲しさと苦しさと怒りで感覚が麻痺してくる
実話がベースらしい
最後の最後に主人公には奇跡が訪れるのだが
それまでのエピソードが苦しすぎて
安堵するのも憚られる
終戦後、
かつてのようにラジオ局でビアノを弾く主人公が
同じく生き残った仲間の姿を認めたときの表情が印象的だ
安堵と悲しさとやりきれなさ、
主人公の弾くショパンが
その表情にとても似合っていた
先週と同様、
テレビをつけたら映画がやっていて
始まってそれほど経ってなさそうなので
そのまま観ることにした
有名人がわんさかである
ディカプリオの美貌にどぎまぎし、
まともな役なのに
どこか期待してしまうマルコビッチに
申し訳ないと思い、
ダルタニャン役の男性が誰だったか
思い出そうと頭をひねった
結局思い出せず、
ネットに頼ると意外な人物だった
『ユージュアル サスペクツ』の
キートンだった
ふとテレビをつけたら
『雨に唄えば』をやっていた
まだ始まったばかりのようで
いい機会だと思い、そのまま観た
ダンスはもちろんだが、
ファッションやセット諸々のデザインも素晴らしく、
ちょっと見とれてしまった
話のテンポも気持ちがよい
1周2周回って今にフィットしているのか
1950年代の映画なのに新しくさえ感じた
以前観た『アーテイスト』は
この映画へのオマージュが込められていたわけだ
そしてこの映画の主題歌を
不気味に利用したのが
『時計じかけのオレンジ』である
テレビのチャンネルをあれこれ変えていると、
突然ランボーが現れた
と言っても最近上映されてる、
『ランボー ラスト・ブラッド』の番宣映像ではない
第一作『ランボー』の日本語吹き替え版である
ベトナム帰還兵の悲哀を
しゃべらないスタローンが上手に演じている
大暴れするも孤立無援、
勝ち目のない戦いである
映画全体を悲しいトーンが覆っていた
だが一番悲しかったのは
エンディングで流れる主題歌がカットされていたことだ
ここまでがランボーということがわかっていない
諦め、哀しみ、そして安堵。
この映画のエンディングとして
これ以上の曲はないし
これ以上の構図もない
この週より
3週連続でランボーシリーズが放映されるそうだ
火曜日らしい
新しいはなやさいの定休日に合わせてくれたようだ
大鍋にトマトソースを仕込んでいると
なぜかマフィア気分になることがあるのだが
今回は違った
映画『マカロニ』をふと思い出し、
優しい気分に浸ってしまったのだ
ラストシーンの
トマトソースのパスタが忘れられない
本当に大好きな映画で
心の底から
もう一度観たい映画だが
なぜかDVD化していない
NHK『麒麟がくる』を観て
黒澤の『どですかでん』を思い出した
『どですかでん』は黒澤初のカラー作品で
元々画家志望だった黒澤が
これでもか、ってくらい色彩にこだわった映画である
そして『麒麟がくる』である
4Kでの映えも考慮してのことだろう、
こちらも衣装を中心に色彩へのこだわりを感じた
どちらも色に力を入れている
調べると『麒麟がくる』の衣装デザイナーは
黒澤の娘、黒澤和子。
妙に納得である
『男はつらいよ』の最新作の宣伝を観て
思わず涙ぐんでしまった
別にファンというわけではない、どころか
まともに観たこともない
でも何だかあの顔を見てホッとしたみたいだ
映画に合わせてに違いないが
BSで『男はつらいよ』がいくつか放送されていた
第一話を観て事の始まりを知り、
リリーの回のメロン騒動でめちゃくちゃ笑った
また来週辺りにも放送があるらしい
しばらく夢中になりそうだ
『わけを聞こうじゃねぇか』
名台詞だね
急に思い立って、
いちご大福を作ってみた
実は見たことも食べたこともない
ネットでざっと作り方を調べ、
気分で作ったら世界一不細工ないちご大福が出来上がった
あと一回分材料がある
次の日一日中何が悪かったか検証し
精神を集中してその翌日再トライした
求肥は:及第点、
いちごの包み方も大体わかった
が、やはり餡が良くない
実は市販のつぶあんをつぶして火にかけ、
いちごにコーティングしやすいよう
あれこれ工夫したのだが
素材の味がほぼ、ない
今度は餡から作ろう
今年中の宿題にするか
来年の目標にするか
そんなこと考えてたら
やっぱりこの映画のことを思い出した
ラジオから
パパス&ママス、
じゃなくてママス&パパスの
『夢のカリフォルニア』が流れてきた
どんよりとした曲調である
多分そんな気分を歌っているのだろう
昔はよく聴いたものだ
それはもちろん、この映画の影響である
エンディングをクランベリーズのカヴァーにするところも
実に気が利いてる
『レイジングブル』を観るのは多分30年ぶりだと思う
BSでやっていたので録画して観た
概ね記憶通りであったが
映画の冒頭から太ったデ・ニーロが登場していたことは忘れていた
デ・ニーロの体重増加で有名な映画だが
ジョー・ぺシの演技が光る映画でもある
破滅的な人生というのは哀しい
しかしどこか妙に、
心を打つものでもある
ずいぶん前に噂は聞いたが
その後全く耳にしなかった
恐らくガセだ、
そう思っていたから先日、
映画好きのお客様から
予告編の話を聞いて心底びっくりした
多分期待を超えることはないと思うし
そもそも観ないかもしれない
でも何か気になる、
そんなアラウンド50は多いと思う
『ルイ』といったら『太川陽介』か『サッチモ』という時代も
もう終わりである
今は断然『八村』である
先日バスケ日本代表のドイツ戦を観た
見応えのある試合展開で
第4クオーターでついに逆転
格上のドイツに競り勝った
途中、日本代表のフリオ・ラマスHCが
誰かに似ていると思った
バスケット映画『勝利への旅立ち』の酔っ払いコーチ、
デニスホッパー
完全なる独りよがりである
映画『グラン・トリノ』の話題になると
決まって苦い気分になっていた
といっても映画が気に入らなかった訳ではない
理由は忘れたが、
なぜだか途中までしか観ていないのである
イーストウッドの最高傑作と誉れ高き作品を
途中で観るのを辞めたなんて言うと
えっ!て顔をされる
何とも居心地が悪かった
そんなことも忘れていたある休日
ぽっかり時間が空いたので
TSUTAYAに映画をと出向いてみた
そうだ、『グラン・トリノ』にケリをつけよう
珍しく即断である
映画の影響か、観終わるとやたら缶ビールが飲みたくなった
ちょうど日も暮れかけていたので買いに出かけた
レジで並びながらつくづく思った
イーストウッドはうまいことケリをつけた
そんな映画である
なぜ?どうして?
そんな疑問がゆっくり少しずつ、
見事な映像とともに解かれていく
ライ・クーダーの音楽とも相まって
深い余韻に浸れる映画である
実に見事な、
しびれる映画である
初めてのマックイーンは
『荒野の七人』又は『大脱走』だったと思う
いずれも小学生の時のテレビでの鑑賞だが
ちょうどそのころ、
マックイーンの映画の宣伝もテレビでやっていた
マックイーンの遺作であり、
私にとってはMAー1との最初の出会いである
最近BSで放映されてたので改めて観た
スター頼りの作りがもはや古典的である
笑わせようとするシーンが随所にあるが
作り手の意図が分かりやすすぎて笑えなかった
実際プロ級のドライバーでもあるマックイーンが
運転下手を演じて笑いを誘うも笑えない
でも、そんなことは重要ではない
50歳のマックイーンがMAー1、ジーンズ、をどう着こなしていたか
それを学ぶ映画である
やっぱ観るのやめようかな
たまたまBSでやってたから録ったけど
小学生の頃にテレビでやってた番宣で
とにかく怖かった記憶がしっかり脳裏にこびりついている
ホラー映画は心から苦手である
じゃあ何で録画したのか、というと
観らずに死ねるか、という内藤陳的思いからである
いつもより少し早めに店が終わった真夜中に
やっぱり、と思い観ることにした
杞憂であった
私にとってはホラーではなかった
いろんな仕掛けが散りばめられた、
奇妙でスタイリッシュな映画であった
ラストシーンにつてはいろいろな意見があると思う
ジャックがあちら側の世界に閉じ込められたととるか、
それとも
そもそもあちら側の住人、つまり生まれ変わりととるか、
実に悩ましい
ジャック・ニコルソンの怪演は筆舌に尽くしがたい
とにかく見とれてしまった
B級ではあるが
何とも忘れがたいロードムービーで
いつかもう一度観たいと思っていた
機会に恵まれた
若きデニーロが何とも楽しそうである
このシーンと
このシーンと
このシーンが好きだったな
何となく観た映画だが
どこか琴線に触れたようだ
もう少し深く理解したいと思い、
立て続けにもう一度観た
私にしては珍しいことである
まず、画がいい
物語そのものはシンプルだが
それをヴェンダースが深みある映画に仕立てている
主演のデニス・ホッパーもかなりかっこいい
しかしながら、少々わかりにくい描写がある
特に冒頭部分
デニス・ホッパー演じるトム・リプリーが
いったい何者でいったい何をしているのか、ということである
ということで原作を読んでみた
が、映画冒頭部分の疑問は晴れない
原作にその部分がないのだ
調べるとこの原作本はシリーズ物で
先に2冊出ているらしい
映画の冒頭がヴェンダースの創作なのか、
それともシリーズに何かヒントがあるのか
確認のため1つ前の作品も読んでみた
解決した
主人公トム・リプリーは贋作ビジネスをやっていた
その流れを映画の冒頭に入れ込んでいたわけだ
なんとも不親切な映画である
因みにこの『贋作』の前の作品、
つまり小説トム・リプリーシリーズの栄えある第一作は
想像通りのハートウォーミング
裏切らない代わりに新鮮味もない
が、この手の映画、
この裏切らない感が大事なのである
定年後の身の振り方を悩んでいる方に
ちょっとした元気を与えるかもしれない
我がの経験・実績には謙虚に、
与えられた以上の仕事をさりげなく、
そして人に優しく
ヤングな女性向映画ではあるが
シニアなおっちゃん向け指南書ともとれる、
と思ってしまうのは
私がおっちゃんだからである
温和なデニーロもいいが、
凄みのあるデニーロも久しぶりに観たいものだ
その昔、相当話題になったフィルムノワールである
BSでやってたので改めて観てみた
粗さは目立つが統制はとれている、
といった感じの物語で
登場人物の病的具合も程が良い
クールな映像とマッチしている
エンディングにはいろいろ意見もあろうが
これもフランス的なのだろう
出演者を調べていると
ニキータの教官ボブを演じたチェッキー・カリョが
映画『ド―ベルマン』のイカれた警視を演じていたのを知った
役者だなぁ、まるで別人である。
唯一観てなかった『深夜食堂』のシーズン4を観た
映画も含めこれですべて観たことになる
『深夜食堂』と言うと
反応的に『孤独のグルメ』の話をする方が結構いる
これがちょっと困る
前者はヒューマンな短編小説で
後者はグルメ番組である
同じく食べ物を扱ったドラマだが
似て非なるものである
同じ土俵に上げてはいけない
ちょっとだけ、と思っていたが
結局1日で全話、確か10話観てしまった
またもや夜更かし
睡眠は削られたが心は少し、
豊かになった
意外な面白さである
絵もよかった
いわゆる病原菌パニック映画であるが
外部と遮断された研究所内が主な舞台で
物語はわりと静かに淡々と進んでいく
劇中、わけわからん専門用語が数多く飛び交うが
それはリアリティを演出することが目的のようであり、
観ている人を置いてけぼりにすることはない
結末も落ち着いており、
結構大人な映画だと思った
1971年の映画らしい
めっけもんである
『明日観に行こうと思ったが、用事で行けないんだ』
残念そうにそうおっしゃったのは常連様である
映画のことだが
タイトルを聞いて耳を疑った
だからもう一度聞き直した
え!続編!
知らんかった
天才数学者が、
その才能がゆえに秘密組織に利用され、
国家間の陰謀に巻き込まれる
いわゆるサスペンスで
主演はラッセル・クロウ
実際映画はそのように進んでいくし
案の定ちょっとしたアクションシーンも出てきた
ラッセル・クロウが数学者というのがちょっとした違和感だったが
アクションシーンが出てきたことから少し納得した
これから強い男に変化していくのであろう
と思って観ていたが
恐ろしいほどの間違いだった
幻覚と戦ったノーベル経済学賞受賞者、
ジョン・ナッシュの魂の物語であった
秘密組織に利用される件はすべて幻覚
統合失調症がゆえの症状である
これがわかった途端、サスペンスがヒューマンドラマに様変わりする
このダマしは鮮やかであった
ラッセル・クロウも頑張ってた
『ユージュアルサスぺクツ』を久しぶりに観た
大昔大いに騙された映画である
たたみかける終盤も含め、
もっと入り組んだ脚本との覚えだったが
思いの外シンプルだった
2度目が許される映画かどうかというと
人に依るでしょう
事実を基にしたフィクションである
アフガン、パキスタンを舞台に
ビン・ラディン暗殺作戦をスリリングに描いている
全編緊張感に包まれており、
同じくキャスリン・ビグローが撮った『ハート・ロッカー』と同じ匂いがした
こういった実話ベースのフィクションを観た後は
実話を確認することを怠ってはいけない
私の場合、アフガン・パキスタンで医療活動をするNGO、
ペシャワール会の関係者が常連にいる
この暗殺事件について聞くと
やっぱり身近な事件のようである
なんかすごいなぁと思った
それほどファンというわけではないが
数えたら6枚ほどアルバムを持っていた
昔っから急に聴きたくなる
ブルージーなロックは色褪せない
そんなストーンズのドキュメンタリー映画をスコセッシが撮っている
10年ほど前の映画で
いつかは観たいと思っていたが
幸運なことに先日BSで放送されてた
ロン・ウッドはちょっと若いが
他のメンバーは皆現在70代中盤のはず
ということはこの映画でピョンピョン飛び跳ねるミックジャガーは
60代の中盤である
ドキュメンタリーの出来云々より、
そう簡単に歳取ったなんて言えないなと、
痛切にそう思った
18世紀のヨーロッパが舞台の映画と聞いてあまり興味を持たなかった
海外の時代モノは好む方ではない
だが、キューブリックが監督と聞いて萎えた興味が少しだけ上向いた
バリー氏の波瀾万丈な人生がテンポよく、
そして淡々と描かれている
だが、このリズムの良さが返って奇妙さを誘ってもいる
キューブリック的とでもいうのか、
どことなくエキセントリックな作品であった
この映画の特筆すべきは映像の美しさである
恐ろしく絵画的。
相当神経使ってると思う
映画の役割の一つに
夢の世界への誘いというものがある、
と思っている
それを忘れてはいけない、
というメッセージというか
とにかくスコセッシの映画愛が止まらない
珍しくファンタジーを観た後
今度は珍しくミュージカルを観る機会があった
ミュージカルは登場人物の心の在り様をわかりやすく伝えてくれる
この映画もまた古き良き映画へのオマージュに満ちていた
『ヒューゴ』にしても『ラ・ラ・ランド』にしても
ちょっとした遊園地気分であった
登場する娘と一緒で
私も観ている時間のほとんどは
父親の言動にイライラしていた
だがその父親の言動の裏には
娘への分厚い愛情がある
シュールな笑いとウェットな愛情
とは言えやっぱり嫌である
こういう父親
繊細なプロット、
文章で表したら上質な小説になると思う
『あん』がよかったのでこの映画も見てみた
主に視覚障がい者向けに
映画の情景を伝える音声ガイドが
ヒロインの生業である
単なるガイドは
映画への導きをむしろ阻害するのかもしれない
視覚障がい者の心の目を信じること、
彼らの想像力を信用することがとても大切なのだろう
永瀬の演技が少々深刻すぎるかな、とも思ったが
まぁ許容範囲
全編光に溢れた物語であった
ふと目にしたDVDのパッケージに反応してしまった
いわゆるジャケ買いである
フィリピンのスラム街を舞台にした、
愛すべきロードムービーである
映像といい、物語といい、
フィリピン映画も結構洗練されているんだな
と思ったら
実は制作はイタリアで
なんと監督は日本人だった
苦しくもほっこりした気持ちで観ていた映画だが
最後に見せたブランカとピーターのこれ以上ない笑顔に
虚を突かれた
エンドロール中涙が止まらない
ちょっとない経験である
映画や音楽に詳しいご夫婦から以前聞いていて
ずっと気になっていた映画である
漸く観ることができた
ケビン・スペイシーがいろいろ言われるちょっと前の映画だと思う
音楽と映像をシンクロさせた面白い作りの映画で
クライムアクションムービーだが
ミュージックビデオのノリがあった
クールな絵だが、キュートな物語である
本編を観ながらもずっと、
エンドロールが観たくて仕方なかった
なぜなら映画の中で数多流れる音楽が
誰の何かを知りたかったからだ
どこかで聴いた曲、声
これを掘り下げるのもちょっとした楽しみである
知らなかったが
映画と同名の曲があった
エンドロールのバックに流れる軽快なロックである
車のエンジン音なんかも入ってまさに映画の延長のような曲
さらに調べるとこの曲、
この映画の元ネタなのだそうだ
確かに歌詞和訳を読むと頷ける部分がある
なるほど映画の企画段階からクールである
このオープニングだけで腹いっぱいである
BSで放送するとのことだったので予約録画した
これを逃したらもう観ることはないと思ったからだ
ひっさしぶりに観ての最初の感想は
あ、これ全編ほぼ英語のセリフだったんだ、
ということである
完全に忘れてた
この辺、30年経った今なら多分違う造りであろう
溥儀の生き様を通した近代中国の歴史絵巻なのだが
今観るとずいぶんシンプルに描かれている
そう思うのは私が歳を取ったからであろう
だがやはり、
美術・音楽も含め実にスケール感のある映画である
また観れてよかったと思う
『2001年宇宙の旅』を観た
聞きしに勝る難解映画で
映画とほぼ同時進行で書かれたという小説を予め読んではいたが
映画の予習としては大して意味を成さなかった
映画を観終わって思ったことがある
ご存じのとおり、この映画は交響曲『ツァラトゥストラはかく語りき』で始まる。
そして『ツァラトゥストラ』はそもそもニーチェの書いた哲学小説である
また、主人公ボーマン船長は長い宇宙の旅のなか
時空のようなものを超え、
しまいには幼子になる
小説ではこの幼子を『スターチャイルド』と呼んでいるが、
これ、ニーチェの唱える『超人』ともとれるような気がしないでもない
ちなみにこの幼子が登場するときも
『ツァラトゥストラはかく語りき』が流れている
つまり、この映画の解釈のキーは哲学、ニーチェかもしれないわけである
ということは読まねばならない
が、大昔ちょこっと読んで逃げ出した『ツァラトゥストラ』である
そう簡単に手を出せない
まずはニーチェを知らねばならない
謙虚な心持だったからか
優しく諭してくれるような本だった
難しい専門用語もあるにはあるが入門書としては有効である
基礎知識は多少付いた
次いで本編に行くわけだが、
難しい翻訳はご免である
くだけた系で行くことにした
映画好きの友人がその昔、
デニーロの代表作は実はこの映画かもしれない、と言っていた
ちょっと意外だった
私がデニーロに対し急速に興味を持たなくなった頃の映画だったからだ
その映画を最近観る機会があった
かなり意外だった
映画はほとんどデニーロ独り舞台で
悲喜交交、濃淡織り交ぜ印象深く演じていた
役に入り込んでいる、というよりも
デニーロそのもの、という感じである
なるほど彼の言う通り、
意外な逸品であった
久しぶりに会う彼はやっぱり、
思いやりがあって
優しくて
優雅で品があって、
とってもチャーミングだった。
それに劇中の芸も恐ろしく達者
チャップリンはホントきれいな映画を作る人である
ついでに『街の灯』も久しぶりに観た
だが、ヒロイン登場の時点でエンディングを思い出してしまい
涙ぐんでしまって最初の方しか観れなかった
チャップリンはホントきれいな映画を作る人である
映画『アウトサイダー』はティーン版『ゴッドファーザー』で
『ランブルフィッシュ』はティーン版『地獄の黙示録』である
かつてフランシス・フォード・コッポラは自作の映画をこう表現したことがある
その真意はわからないが
この4つの映画のうち、ひとつを見逃していることがずっと気懸りだった
『アウトサイダー』と同じくS・E・ヒントン原作であり、
『アウトサイダー』と同じく迷える若き子羊を描いている
映画全体を覆う退廃的で哀調を帯びた色は
主人公の兄、
ミッキー・ローク演じるモーターサイクルボーイが観る色である
ミッキーロークがなかなかの存在感であった
クールではあるがそれだけではない
意外と観させる映画であった
イーストウッドはこの映画で
西部劇に『ケリ』を付けたのだと思う
静かで深い映画である
改心したものの今は落ち目のかつての大悪党マニー
人生の挽回を賭して賞金稼ぎとしてカムバックするが
久しぶりだと馬には乗れない、銃も撃てない
そんな悲壮感たっぷりのマニーだが
物語の終盤、相棒の死をきっかけに
かつての非情な自分に戻る
そこには悲壮感など微塵もない
観ながら思ったことは
かつて名を馳せたマニーの存在それこそが
かつて名画の象徴だった西部劇そのものなのでは、
ということである
西部劇という忘れ去られがちなジャンルに対して
どっこい生きてる、
そんなメッセージが込められている気がした
その後マニーは足を洗い、堅気として生きていく
それはつまり、イーストウッドの西部劇との静かな別れなのである
ところでこの映画、命の重さを扱った珍しいウエスタンでもある
かつて殺した者の幻覚や悪夢にうろたえるマニー
はじめて人を殺した若きガンマンの苦悩
マカロニウエスタンで夥しい数の人を殺したイーストウッドは
その償いをこの映画でしているのかもしれない
『ネブラスカ』というと、
どうしてもスプリングステイーンのアルバムを思い出してしまうのだが
今回は音楽の話ではない
映画である
いい映画である
頑固親父の酔狂な行動の裏には不器用な愛があり、
優しくも冴えない息子にはそれを受け入れる度量があった
全編モノクロの画も良かったし、素朴な音楽も良かったが、
思いやりに溢れた、静かで抑制の効いた物語が何より素晴らしかった
せっかくなんでスプリングステイーンも聴いた
1930年代のアメリカ南部が舞台
不慮の事故で夫を亡くした主婦が
借金返済のため、家族のために逞しく生きる姿を描く
名作とも言われる正統派南部映画だが
この映画を語る上で最も重要なのは
盲目の下宿人を演じた、
ジョン・マルコビッチである
映画デビュー作にもかかわらず、
恐ろしいほどの存在感
もっと長い時間彼の演技を観ていたい
そう思ったのは私だけではないと思う
映画の内容云々というより
音楽がグールドということで観ることにした
一風変わったSF映画である
主人公は自分の意思に関係なく、
いわば痙攣的に時空を飛び越えることができ、
さらに惑星トラルファマドール星にも移動することができる
あ~俺何言ってんだろ
過去、未来、よその惑星など
あっちこっち移動する訳のわからない物語だが
決して消し去ることのできない主人公の戦争体験が軸であることは間違いない
翻弄される人間の弱さと言うか、
諦めのようなものが描かれているように思った
音楽は期待通りである
随所に珠玉のバッハが流れていた
ぽつりぽつりと語り掛けるようなグールドのピアノは印象的に使われていたし、
悲劇的な空襲を受ける前のドイツ・ドレスデンの美しい街を
華やかなブランデンブルク協奏曲で彩るあたり、不気味な演出であった
一応映像があったのでアップするが、
これ観たところで意味わからんと思う
極端に説明の少ない映像に対し
物語をもう少し掘り下げたいという衝動が起こったので
原作を読むことにした
ユーモア漂う達観したような文章には
映画同様、大きな力に翻弄される人間の弱さ・諦めが見えた
あ、そういうことかと
映画のわかりにくかった部分を補足してくれた
映画『トップガン』の続編があるとかないとか
ずいぶん前から言われているが
ここきてまた、そんな噂話をよく聞くようになった
だが、今度の噂は結構確度が高いようで
トム・クルーズが製作に関わるだの、
主人公が勝気な女性パイロットだの、
ヴァル・キルマーがオファーを受けただの、
結構話が細かい
因みに来年から撮影らしい
そんな噂話を受けてではないのだろうが
BSで『トップガン』があった
何をいまさら、なんて思いながら録画予約をし
いつか暇なときにでも、なんて思いながら結局すぐ観た
30年前と変わらぬ気分で観てしまう自分に
精神年齢の幼さを感じた
もうトム・クルーズ側ではなく、
教官・上官側であることを受け入れなくてはならない
映画はランチとディナーの間に観た
ちょっとしたおさらいで
ディナータイムの最初の方は『トップガン』のサントラをかけた
やれやれ、やっぱり30年前の気分で聴いてしまう
続編を観たらいくらか修正されるのだろうか
自分以外の家族がみんな耳に障害を持っている
そういう設定だから
それなりにシリアスな映画と思っていた
だが違った
父も母も弟もその障害を屁とも思っていない
愛らしく逞しいゴキゲンな一家の物語だった
主人公の少女に歌の才能があるとわかったことから始まる騒動だが
彼女の歌声が聞こえない家族がそれにどう対処していくのか
とにかくかわいい映画である
案外都会の方が優しさに満ちているのかもしれない
人は哀しみが多いほど
人には優しくできる
金八もそう言っている
原作はポール・オースターで脚本も彼
彼の小説と同じく、クールで絶妙な物語だ
映画のエンディングも実に上手くデザインされてる
地味な映画かもしれないが
滋味深い映画でもある
JR九州の豪華列車『ななつ星in九州』を紹介した番組がBSであった
おもてなしと言う言葉では到底足らない、
だからといってお高く留まったモノでもない、
そんな彼らの供するサービスに
テレビを観ての勝手な想像だが
どこかあたたかいモノを感じた
サービス業のはしくれとして大変参考になる
初心に戻った
『俺もいつかこの列車に乗るんだ』
恐れ多くてそんな気にもならないのだが
はて、このセリフどこかで聞いたことがある
そう、鉄郎である
ということで猛烈に『銀河鉄道999』が観たくなった
単なるノスタルジーに終始するであろうと思っていたが
裏切られてしまった
かなり感動してしまった
友情や信頼、人としての正義が
魅力的なキャラクターを通して熱く語られていた
それにこの物語は
鉄郎とメーテルの悲恋の物語でもある
こんなに切ない別れはない
そしてエンディング、
傷心の鉄郎にゴダイゴが
別れも愛のひとつだと歌いかける
明るいメロディーも鉄郎の背中を押す
糧にしろ、進め。
そんなメッセージが込められているかのようだ
あの主題歌が映画のエンディングとこれほどマッチしているとは知らなかった
何だか忘れかけていたことを思い出した気分だ
ちょっとだけ若返った
見逃していた映画の一つである
痛快娯楽アクション映画として誉れ高き映画だが
私には少し軽く感じた
が、面白い脚本であるし
三船のパフォーマンスもすごい
娯楽大作に変わりはない
気になったのはロケ地である
ごつごつした岩に乾いた土、
西部劇にでもでてきそうな土地はまるで日本ではない
どこだと思って調べたら
兵庫県西宮市の蓬莱峡とあった
今でもいろんな映画・ドラマのロケに使われているそうだ
それにしても三船の両手刀の乗馬姿、
圧巻の筋力&バランス感覚である
『ロッキー』、『レイジングブル』の
いわゆるパロディー映画である
よくもまあこんな映画を作ったもんだ、
なんて思いながらも
結局最後まで観た
映画としての出来はコメントに値しないが
どこか私の郷愁に引っかかったようだ
私にとってはそれだけでも価値のある映画であった
随所に流れる音楽もなかなかイカしてた
本編が終わり、
ぼんやりエンドロールを観ていたら
思いがけない一撃を喰らった
このリベンジマッチを成功させたプロモーターが味をしめ
別の二人にリベンジマッチを持ち掛けるという、
短いシーンが織り込まれてあった
その相手がなんと
マイク・タイソンとイヴェンダー・ホリフィールド。
闘ってもいいというタイソンに対し
耳噛まれるからやだ、というホリフィールド
事情を知ってる者からしたらたまらないやりとりである
まさに最後の最後に最高のオチ、であった
ひょとしたらこの映画、
このオチのための壮大な前振りなのかもしれない
episodeⅢ
ダースベイダーは如何にして誕生したのか
その説明がなされているが
理由はもうひとつピンとこない
でも気にしない
ジェダイとシスという人智を超えた方々のお話である
深く考えることはない
さて、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲでようやく事情がわかった
初心に戻ってⅣである
episodeⅣ
やっぱり新たにCGが施されていた
いろいろ意見もあるだろうが
私は良いと思う
シリーズの整合性を保つためには致し方ない
エピソードは4番目だが
シリーズの1作目としての重みがあった
episodeⅤ
少年の頃に映画館で観た記憶がしっかり残ってた
映画の作りとしては
残念ながら一番チャチである
パペットのヨーダがかわいくて仕方ない
欲しい、と思った
さて、残るはエピソードⅥだ
スターウォーズフリークの常連様から借りっぱなしのBlu-ray
(Ⅰ~Ⅵ+ボーナスディスク2枚のボックス)
にようやく手を付けることができた
少年の頃観たスターウォーズの世界に
その昔どんないざこざがあったのか
興味深く観させてもらった
まずはエピソードのⅠとⅡ
意外だったのは役者の充実度である
リーアム・ニーソンにユアン・マクレガー、
サミュエル・ジャクソンにナタリー・ポートマン、
そしてヨーダ。
ヨーダってこんなに滑らかな動きだったかいな
調べるとエピソードⅡからヨーダはCGらしく、
その整合性のため、
その後発売されたBlu-rayシリーズからエピソードⅠもCGになったとのこと
ヨーダはもうパペットではない
だが、CGのおかげで表現できることも増えた
ああしたかったが技術的に無理だった、
ジョージルーカスはBlu-ray版でそれらを修正しようとしている
まだⅢが残っているが
大昔に観たⅣ、Ⅴ、ⅥがBlu-ray版でどう修正されてるか
そんな観方もある
おもしろいと思った
エピソードⅠ、Ⅱともに映像も物語も悪くない
懐かしいではなく、新しいと思った
行きつけの八百屋の壁に
ベトナムの日常を被写体とした、
数枚の写真パネルが掲げてあった
店に陳列されてる新鮮な野菜たちと相まって
匂い立つような不思議な空気を醸している
『2眼レフで撮ったベトナム』をテーマとした、
プロの写真家のイベントだそうだ
今月いっぱいやってるらしい
くきた青果 福岡市城南区別府1-4-5
3月3日(金)〜3月31日(金)
11:00〜18:00ごろまで
水・日曜、祝日休業、3/22(水)は営業
結構好きなトーンである
青いパパイヤなんか売ってたりして。