ランチの後、用事があって自宅へ帰ったら
家の前の河川が氾濫していた
駐車場に停めてある自家用車も水没している
唖然としながら腰まで泥水に浸かって歩いていたら
何やら水中に沈んだものを引き上げてる連中に出会った
かなりの力仕事のようなので手伝った
意外にも楽に引き上げられたのだがそれが何かがわからない
と、ここで目覚めた
こんなにはっきり覚えてる夢も珍しい
ようやく読む時が来たようだ
学術書を兼ねているためか恐ろしく読みにくい
だが、怯むことはない
まともにフロイトと対峙しようと思わないなら
つまり、フロイトの説さえ知れたらいいと思うなら
案外読みやすいのかもしれない
先人の夢に関するあらゆる説に疑問を呈し、
次第に自論を説いていく前半
そして、自論が如何に理に適っているかを
いろんな例を使って畳みかける後半
いずれもその筋のインテリからのツッコミに備えた抗弁である
突っ込むつもりのない私のような一般人は
前半と後半の間にある彼の説だけ知っとけばいい
それはつまり、
夢とは『無意識のゾーンにメモリーされた記憶の数々が、
変換・圧縮されて顕在意識に現れる現象で
主に願望を充足するもの』ということだ
因みにこの変換というのが曲者で、
夢において願望はストレートに現れないらしく、
屈折した形(例えば逆の形)で現れるそうだ
なるほど。
と言うことで冒頭の夢を素人なりに分析してみよう
河川の氾濫は当然私の願望ではない
また、氾濫してほしくない、と強く願っているわけでもない
だから河川の氾濫は直接的な願望とは関係なく、
願望のための背景と考えた方がよさそうだ
河川が氾濫することによって得られる願望とは何ぞや?
と考えて思い付いた
車である
頓着はないほうなので
同じ車に長く乗ってる
気に入ってはいるがそろそろ新しい車を、
なんて心の深いところが欲しているのかもしれない
だって水没すれば否応なく買うことになる
また、水中から何かを意外と楽に引き上げられたというのは
その気になれば案外楽に解決すると考えていることの現れではなかろうか
こんなんでましたけど
どうでしょう、フロイトさん