イーストウッドはこの映画で
西部劇に『ケリ』を付けたのだと思う
静かで深い映画である
改心したものの今は落ち目のかつての大悪党マニー
人生の挽回を賭して賞金稼ぎとしてカムバックするが
久しぶりだと馬には乗れない、銃も撃てない
そんな悲壮感たっぷりのマニーだが
物語の終盤、相棒の死をきっかけに
かつての非情な自分に戻る
そこには悲壮感など微塵もない
観ながら思ったことは
かつて名を馳せたマニーの存在それこそが
かつて名画の象徴だった西部劇そのものなのでは、
ということである
西部劇という忘れ去られがちなジャンルに対して
どっこい生きてる、
そんなメッセージが込められている気がした
その後マニーは足を洗い、堅気として生きていく
それはつまり、イーストウッドの西部劇との静かな別れなのである
ところでこの映画、命の重さを扱った珍しいウエスタンでもある
かつて殺した者の幻覚や悪夢にうろたえるマニー
はじめて人を殺した若きガンマンの苦悩
マカロニウエスタンで夥しい数の人を殺したイーストウッドは
その償いをこの映画でしているのかもしれない