今年93歳のこちらのおばあちゃんは
ご来店の頻度からいえば、
当店の圧倒的ナンバー1の常連さまである
主にコーヒーを召し上がり、
たまにキーマカレーをしっかり食べる
喰うなり飲むなりしたら大体サッと帰るが
私の手の空き具合と
彼女の話したい具合が一緒になると
しばらく話すこともある
この日もそんな日だった
年金の話が済むと
ひょんなことから福岡大空襲の話になった
以前よりポロッとかけら程度聞いてはいたが
今日は時間に余裕がある
少しばかり詳しくこちらからも聞いてみることにした
空襲の火は
家屋の燃える火よりも
各家庭にストックしてあった練炭の燃える火の方がはるかに激しかったこと
妹をおんぶして港町あたりから西公園まで避難したこと
その後、逆だった髪とススだらけの姿で
拾六町にある知り合いの家まで歩いて疎開したこと
凄惨な現場を目の当たりにしたことなど
淡々と話す姿が
次第に凄みを帯びてくる
くぐり抜けた方なのである
空襲直後は彼女の父親が地元私鉄の職員だったこともあって、
無事だったその会社の社宅をあてがってもらったそうだが、
その社宅のすぐ近くには病院があり、
そこに運び込まれる怪我人を何度も目にしたそうだ
また、当時その周辺は風呂に入れるような環境ではなかったらしく
電車で二日市温泉に通っていたそうだ
そこで
『私鉄の線路は爆撃を受けなかったのですか?』
と問うと
『線路は標的にならなかったが駅にいる人間が標的になった』
そうだ
苦しいエピソードである
いろいろ思い出させてくれてありがとうと
笑いながら帰っていったが、
いろいろ思い出させて申し訳なかったという思いが心に残った
でもやっぱり、
聞いて良かったと思っている