映画『スモーク』の脚本を読んでみた
ポール・オースターの作で
同じくポール・オースターの短編、
『オーギー・レンのクリスマスストーリー』が
この映画の元になっている
脚本にもそのまま登場するこの短編を読むと
改めて映像化の巧さに舌を巻く
ハートフルな物語が
よりドラマチックに、
より深い余韻を残す映像と化している
もうすぐクリスマス
だからどうした、というタイプだが
どうせならあったかい気持ちで過ごしたいものだ
江戸の市井の風景が
詩情ある簡潔な文章で品よく綴られている
そしてそこに生きる人々への眼差しも優しい
悲喜こもごもな物語ではあるが
全般的に穏やかである
巻末の解説で、井上ひさしが本作品について
こう評している
梅雨どきの土曜の午後のひとときを過ごすのにはもってこいです
うまいこと言うなぁ
同感である
古典とも言われる大昔の小説だが、
実によく出来ている
舞台にも向いてそうだ
ついでにこちらも読んだ
当然ながら、
こちらは映画に向いてる
人類の歴史の根っこを知るうえでは
大変ためになる本である
肝は『食糧生産の術を持つこと』。
商売、というか経営にもどこかリンクする書であった
それにしても長い。
もっと短くできる本だと思う
多くの芸能人御用達の、
実在の居酒屋がモデルらしい
その大将の波乱に満ちた人生を
主人公は時には店で、
時には病室で大将の口から聞くのだが
笑いを織り交ぜたそのエピソードを
どうしても素直に笑うことができなかった
面白くない、というわけではない
店も大将も実在で、
大将の波乱万丈エピソードも
事実かどうかは別として、
著者が実際に耳にしたとのことである
そこまで現実に則していると
『居酒屋ふじ』を実際に知っている者でなければ笑ってはいけない、
そんな気持ちになったからだ
常連が屯する酒場にうっかり入り込んだような
そんな感覚だったが
これも何かの縁である
とりあえず失礼のない程度に飲み食いし、
目立たないよう店を出た、
そんな読後感である
スマートな文体だから忘れがちになるが
かなり不幸な青年の物語である
だが青年は
その不幸を客観視する冷静さを持ち合わせている
だから無駄に投げ出さない
やがて救いの手が差し出される
月をモチーフに
ある男性の青春時代を描いている
最終的には何もかも失うわけだが
読後には何とも言えない爽快感があった
それは青春時代からの卒業、というか
新しいスタートと受け取れたからである
翻訳が絶品である
原書のニュアンスを誠実に守りながら
気の利いた言い回しにしてるのだと思う
外国の文学でありながら
日本の純文学を読んでるようであった
優れた外国文学を
優れた翻訳家が訳せば
傑作が生まれる、
ワケである
話題だった頃に試しに読んでみたが
上巻までで読むのを止めてしまった
描き方に偏りを感じたし、
登場人物たちの超人ぶりにも
ついていけなくなったからだ
とはいえ、地元の偉人がモデルでもあるし、
一応最後まで読んでおくかと
数年を経て下巻を読むことにした
上巻から改めて読みだしたのだが
描かれる戦後の景色と
現在のコロナ禍が妙にリンクして
初めて読んだ時よりずいぶんスムーズに
入っていけた
困難に向かう様はやっぱり漫画だが
今こんな時期は理屈抜きで楽しめばいい
いいタイミングで読んだみたいだ
先の見えにくいこの時期に
ちょっとしたやる気になった
下巻は石油業界の歴史を学ぶのに
大いに役に立った
虫は嫌いだし動物も苦手
おまけに高所恐怖症ときている
だからハードな山登りは到底無理、
にもかかわらず山を舞台にした物語を
意外と結構読んでいる
潜在的に山への憧れがあるのかもしれない
山を楽しむ、というより
山に挑む、といった感じの父親と
もはや山の一部のような作りの友人
そしてこの二人に影響を受けた主人公
山に生きる、というか
山と生きることの意味、価値を
美しい自然の描写とともに
やんわり伝えているような気がした
切なくも爽やかな読後感である
主人公の父親が山頂でワインを飲んでいる件があった
私はどっちかというと
山頂より下山後の方が酒が美味そうに思えた
そう言えば思い出した
ずいぶん昔、
山々の稜線を歩くという、
縦走登山にはまっているというお客さんがいた
関西の方で登るのは関西の山のようだったが
山を下ったあたりに『餃子の王将』があるらしく、
下山後そこで食べる餃子とビールが
たまらなく美味いんだと
うっとりした表情で言っていた
口中に唾液が溢れた記憶がある
よし、近場でハイキングでもやってみるか、
まずは『王将』の場所からチェックである
文章がちょっと技巧に走ってる感もあったが
丁寧さの方が上回る
翻訳本での感想だから原書ではどうなのだろう
いつか帰国子女の友人に聞いてみたいと思った
どの短編も
巡り巡って最終的に
何とも言えない余韻につつまれる
エンディングを先に書き、
遡りながら、
また読者に軽くフェイントをかけながら
書いたような印象だ
作者はインド系のイギリス人
この短編集もインド、パキスタンからの移民が
多く登場する
これらの国々の悲しい歴史も
垣間見える
最終的にがっかりすることも多いサスペンスものだが
この本は巧くできている、と思った
1950年代に20代の若者が書いた小説である
昔過ぎて読むのが少々骨かな、
と思ったが数時間で読める
何よりプロットが面白い
サスペンス小説界で
ずっと語り続けられる意味が分かる
犯人のアンチヒーロー的な存在も
また魅力の一つであろう
気合を入れて読みはじめた『悪童日記』の続編は
謎多きパラレルワールドだった
双子ではなく、
実は2つの人格を持った、
1人の男性の物語であったと思わせる第2作
いやいやちゃんと双子ですよ、と
彼らが離れ離れになった事情を説明する第3作
連作なので3作とも当然登場人物は同じだけれど
配置、役割が違う
どう読むかは読み手に委ねられている
とはいえ、そもそも3作とも嘘で
本当の物語は別にある、
と考えることもできる
第3作のタイトルが『第3の嘘』というのも
意味深である
第1作『悪童日記』で憶えた双子に対する恐怖は
3作を読み終えて
作者アゴタ・クリストフへの恐怖へと変わった
才能と言うか、強かさと言うか、
恐ろしい作家である
処分してしまったかも、
と思いながらも根気よく探して正解だった
26年前の本にしては状態もいい
訳あって
久しぶりに読むことにした
戦時下のハンガリーが舞台とされている
冷酷なまでに研ぎ澄まされた文章で
主人公である双子の少年の生き抜く様を
超人的に、説得力を持って描いている
双子の言動を
ブラックなユーモアと取る向きもあるが、
それにしては冷え過ぎる
凍ると言ってもいい
この小説に続編があることは
当時から知っていた
だが、あの双子のその後を知りたいとは
到底思えなかった
正直恐ろしかった
だが、なぜかここにきて
時折双子のことを思い出すことがあった
今が読むときかもしれない
だから続編2冊を読む前に
この『悪童日記』を再読する必要があった
久々に読んでまた凍った
もう手元にある続編を読むことが
少々躊躇われる
『台湾エキスプレス』というサブタイトルに
妙に興味を持ってしまった
といっても鉄道ファンというわけではない
単に『深夜特急』を連想したのかもしれない
『路』という3話からなる連続ドラマのことである
最初に抱いた興味が第1話を観ても失せなかったので
第2話に先んじて、
原作である小説を読むことにした
台湾を日本の新幹線が走る。
このビッグプロジェクトの進捗に合わせて
両国を跨いだ老若男女の物語も進行する
これといった事件もなく、
皆落ち着くところに落ち着く、
そんな話である
ただ登場人物達は皆、
それほど気負ってはないが
現状を変える一歩をどこかで踏み出してる
読後の柔らかな爽快感は
そこから来ているのだと思う
もう一つ、
読んだ後に思うのは
台湾料理が喰いたくなることだ
本屋も行けず、
図書館も閉まってる
仕方なく、
店のボックスシートの中に埃と一緒に積まれてる、
かつて読んだ本の中から引っ張り出したのは
男性向けB級映画的ハードボイルド、
『初秋』である
少年に自立の意味を諭すスペンサーの言葉は
いずれも実に気が利いていて、
すぐ誰かに言いたくなるものだが
気を付けなければならない
この言葉を凡人が使うと
途端に茶番である
ガタイが良く、
運動もよく出来て、ボクサー歴もあり、
大工仕事を知っていて、
料理もでき、文学の素養もあり、
自分でコントロールできることにだけ集中できる、
元警官の私立探偵でなかったら
人に使ってはならない
あくまで自分の内側に留めるべきである
物語中のスペンサーの年齢を
恐らく大きく超えてるはずなのに
15歳のポール気分で読んでしまう
何となく
『初心』に戻れる小説なのかもしれない
今の文庫本カバーはこんなデザインのようだが
かつてはこういったデザインで
何度も読んだので
今はこれだけになっている
しおりにしている
スケールや仕事内容は全くと言っていいほど違うが
広い意味では同業種
著者でもあるこちらのスーパーシェフの生き様、仕事論には
どこか共感するところがあった
コックたちのイカレ具合が
決して誇張ではないことは
かつての寿司屋・和食屋等での修行経験から
少しはわかる
臨場感ある厨房の描写に胸が躍った
著者と同じく、
私もこの料理を作るという仕事が
やっぱり好きなようだ
ぼんやりテレビ番組を観ていると
出演者達がプロレス談議を始めた
そういえば中学生あたりまではプロレスを観ていた
テレビのプロレス中継はもちろんだが
当時は漫画も観ていた
あの頃の漫画は今も観れるのだろうか
びっくりした
全作ネットで配信している
外出自粛で思わぬめっけもんである
古すぎる画に最初は戸惑ったが
次第に慣れてきた
時折出現する、
幼稚な猪木談が結構楽しい
折角なので今度
猪木のポエムもおさらいしておこうと思う
25年ほど前に一度読んだきりである
少し前、本を整理していたときに
ふと見つけた
おじさんが今更読むような本ではないが
今更読んだらどんな感想を持つのだろうか、
興味本位で読んでみることにした
意外だったのは
25年前よりも遥かに夢中になったことである
スーツを着て
組織に属していた25年前は
ビート的な生き方に憧れはするものの、
結局は自分とは無縁な世界
眺めるように読んでいたのだと思う
だが
どこにも属さない、
不安定な身分になってしまった今
この『路上』の世界にほんのちょっぴりだが、
直に触れているような気がした
刹那に生きる登場人物達が
とても悲しい
でもどこか琴線に触れる、
そんな物語である
たまたま見たテレビ欄に『さぶ』とあったんで
思わず録画予約をした
山本周五郎の『さぶ』は好きな小説の一つである
愚鈍なさぶと兄貴肌の栄二、
特にさぶの人柄には心が震える
忘れがちな大切なものを
思い出させてくれる、
そんな小説である
こんな時である
心に優しい山本周五郎作品を
久しぶりに読んでみようと思う
電子書籍で。
そういえばと読んでみた
以前から評判は聞いていた
むやみやたらにAIと
うるさい輩に一言申す、
そんな内容でもあったが
読めば読むほど怖くもなる本である
現時点のAIを冷静に知る上で
一読の価値はあった
たまには東欧の小説を、
それもどっしりとした長編を読もうと思い、
たまたま手にした本である
ミラン・クンデラといえば
『存在の耐えられない軽さ』である
物語の進行に関わらず、
ところ狭しとクンデラの哲学論が入り込んでくる
読むのにかなり骨の折れる小説であった
この『冗談』も同じ匂いがするが
妙に挑みたくなった
気軽には読めそうにない、
ハードカバー上下二段の380ページ。
で、実際はどうかというと
予想より遥かに読みやすく、
予想より遥かにおもしろかった
チェコスロバキアを舞台にした、
男女の物語であり、
政治に翻弄された男の物語でもある
それは悲劇でもあり、
笑えない喜劇でもあった
構成も美しく久しぶりに夢中になった
しばらく重い余韻が残りそう
そんな小説であった
孔子老子についてお浚いするのに
うってつけの本であった
まず孔子の有難い論語の精神を説いた後、
それを否定する老子の精神を説く
カタい孔子とひねくれ者の老子を
著者の主観を総動員して
面白おかしく対比していた
老子の教えはいわば劇薬
著者も言うように
若いうちは孔子の教えを学び、
ある程度歳をとってから老子を学ぶのが良いかもしれない
意外にラストが良かったのである
様々な苦悩を抱える登場人物達の
ある意味再生を描いているが
それほどドラマチックな出来事があるわけではない
どちらかというと物語は穏やかに進む
主人公夫婦の苦しい時期を
回想という形で描いているのが
功を奏しているのかもしれない
山での暮らしを通して
知らず知らず、
人として一皮むけた主人公夫婦であるが
別に環境が山である必要はないのかもしれない
必要なのはちょっと振り返れる場所
立ち止まれる場所である
阿弥陀堂を守る老婆が重要な役回りである
ドラマ『浮世の画家』の再放送があった
見逃していたので録画して観た
原作は二度読んでいる
戦後の価値観の転換に翻弄された人々を描いていて
他のイシグロ作品同様、
登場人物は何らかの十字架を背負っている
この作品では画家の小野益次がその人物である
スリル感のある作りであった
終盤は原作にない部分もあって
それはそれで印象的だった
風景の撮り方にもこだわりを感じた
だが、である
この作品で描かれる日本は
イシグロがイメージした想像の日本のはずである
日本人の両親のもと日本で生まれ、
幼少期にイギリスに渡った彼は、
英語を母国語として、
イギリス人として育った
そんなイシグロが描く日本と言う意味では
原作の持つ異質さが描けていない
イシグロがイメージする際に参考にしたという、
小津安二郎を思いっきりパクった映像にしたら
それはそれで面白かったのかな、と思った
けどこれは、仕方のないことだと思う
このカバーデザインでは
主人公を浮世絵師だと思わせてしまう
こっちのデザインの方が物語に合っている
藤田嗣治、小野安二郎へのオマージュが
あるような、ないような
『ゲーテとの対話』をパラパラ捲りながら、
著者エッカーマンと偉人ゲーテが親しくなったその経緯をおさらいしたくなり、
上巻の最初から読み直した
貧しい田舎の神童エッカーマンは
学ぶ機会に恵まれず早くから働きに出る
画家を目指したり、
周りの援助により大学で法律を学んだりするなか文学に目覚め、
ゲーテを知ることになる
その後、事情もあって大学を辞めることになるが
その際自作の詩集を出版して金を作ろうと画策
だが出版の術を知らず、その筋の業界人を紹介してほしいとゲーテを頼る、
という始まりなわけである
この『ゲーテを頼る』ってところが突拍子もない
えらい飛躍である
昨今、作家志望の若者が大御所の作家に、
本出したいんだけど
どっか出版社紹介してくれ
なんてお願いすることの100倍くらいすごいことな気がする
けどエッカーマンはそれをやってのける
それにゲーテもゲーテである
こんな若者を面白がり、かわいがるのである
この時エッカーマンが31歳くらいで
ゲーテが74歳くらい
そして9年ほどの付き合いが始まる
考えれば奇妙な出会いである
エッカーマンはつまるところ、
ドリームの体現者である
そして、ゲーテとの対話というそのドリーム体験を細かくメモし、
後にまとめたのがこの本である
体験を自分だけのものとせず、
本にし、広く世間に広めたのは
正に偉業だと思う
見方を変えると
ゲーテにとってもエッカーマンは
都合のいい人物だったのかもしれない
彼自身の思考の総まとめをエッカーマンに書き留めてもらった形にもなる
明るい詩人ゲーテのことだから
神が遣わしたライター、インタビュアーとでも思ったかもしれない
もうずいぶん前から手元にある本だが
まともに読んではいない
というか、読みこなせない
たまに手にとって
エイヤッてページを開いて
その前後を読む
大体気の利いたフレーズに出会う
そんな読書でいいと思っている
ワインが合いそうだ
と言っても料理の話ではない
本の話だ
かつてイタリアの山奥に
本の行商を生業とする人々がいた
なぜ?どうしてそんなところで本を?
ヴェネチアの古本屋でそのことを知った内田洋子は
その魅力的な疑問を解明すべく旅に出る
そしてその不思議な引力に導かれた旅は
本屋の原点へと続いていた
興奮のノンフィクションである
興味深い写真画像が数多く掲載されていたが
誰か映像化してくれないかな、とも思った
全編、本への愛で溢れている
イタリアの出版業界や読書習慣の現状についても触れてあった
日本と同じく、読書をする人は少ないようだ
読書はフィクション、ノンフィクション問わず、
その作者との会話と思っている
何かと足りない私を補ってくれている
最近やたらチェーホフを読んでいる
『接吻』、『鼻』、『かもめ』、『犬を連れた奥さん』、『桜の園』など
戯曲、短編ちょこちょこ読んだが
『かもめ』を読んだあたりから
何だか太宰っぽいな、と思うようになった
知らなかったが
太宰の『斜陽』はチェーホフの『桜の園』が下地になっているそうな
チェーホフの書く喜劇は実に悲劇的
でも、そもそも喜劇と悲劇は紙一重、
どう見るかでどっちにも取れるものである
人の世は笑えない喜劇、
ということかもしれない
相変わらず見事な文章である
以前読んだ『ジーノの家』は実によかった
エッセイとは思えないドラマティックなエピソードばかりで
短編映画を観ているようでもあった
彼女の人となりがそんな物語を引き寄せているのだろう
また内田洋子を読もうと思いながら
ずいぶん経った
裏切らなかった
『ジーノの家』を彷彿させるエピソードの数々
またもや満足である
大事に読んでるので
あともう少し読み残しがある
今年はこの本で年越しになる
この本と同時進行で漱石の短編もいくつか読んだ
無駄がなくてテンポがいい
内田洋子と漱石と向田邦子はちょっと似ている、
そう思った
『忘却の河』を読みなおした
著者は言う
『私たちはみな、穢れた魂と罪の意識を持ちながら、
しかも生きていく』
ネガティブな言い回しだが
この言葉にはどこか救いがある
過去に苦しむ人、秘密に押しつぶされそうな人、
それが人間なのである
今回久しぶりに読み返してみて
坂口安吾の『堕落論』にどこか遠くでリンクしているように思った
改めて言うまでもないが、
物語のテーマ、構成、文章、どれをとっても
恐ろしく良くできた小説である
酒を売る商売でもある
だから酒の知識はもちろん、
飲み方も知ってなければならない
対お客様へのレクチャーだけでなく、
自分自身、どう酒と関わっていくか
ここのところ
ちょっと飲み過ぎただけで二日酔いになる
また、休肝日が最近は疎かで
その辺身体にどう影響があるのか
いろいろ知りたかったわけである
様々なお酒に対する疑問について
様々なお立場の賢者が説明してくれる
何かいいこと書いてないかな
期待を胸に読み進めていると、
いきなりいいことが書いてある
日本酒は生活習慣病の予防に効く
毎日2合くらいなら飲んでよし
こんなことを言ってくれるのは
当時84歳のドクター滝澤氏である
実にうれしい
だが、その後の様々なレポートを読むと、
酒は基本悪、
でもほどほどならいいことがあるかも、
そんな感じだった
悪酔い対策、二日酔い対策はいくらかためになったが
飲み過ぎたら意味はない
私の結論
ほどほどとは言うものの
無理に飲酒量を減らすとストレスになる
ストレスは万病のもとである
そしてストレスの軽減に役に立つのはやっぱり酒なのである
つまり酒は、
百薬の長である
おしまい
恥ずかしくなるほどのB級物語である
でも、そこがいいのである
二つの物語に共通するのは
失った自信・誇りを取り戻す方法
それはいたってシンプルである
逃げない、そして元を絶つ
負け犬にならないための鉄則である
ロバート・B・パーカーは
自分が男の子だったころを思い出させてくれる
アメリカを舞台に
様々なルーツを持つアメリカの高校生が
広島・長崎についてディベートをする
ディベートという形を通して
原爆についての様々な説を整理できる本である
もし、この本の作者がアメリカ人だったら
読後感は少し違ったと思う
どういうスタンスで読み続けるべきか少し悩んだ
連続幼女誘拐殺人事件、そして冤罪
重く恐ろしい事件を扱ったノンフィクションだが
文章がやけに軽妙なのだ
書き手である記者の思考、行動が事細かに
しかもドラマチックに描かれており
まるで小説である
ことの重大さを考えると不謹慎ともとれる
だが読み進めるうちにその意味が少し分かった気がする
このノンフィクションの意味の一つには
メディアへの取材姿勢に対する警鐘があると思った
早い時期に然るべき取材を行っていれば
冤罪はもっと早い時点で防げた、または暴けた、かもしれない
つまりもっと早い時点で真犯人に迫れた、かもしれない
わけである
真犯人に迫る方法がもうなくなった今、
二度とこのようなことがないよう
どう考え、どう行動するべきか
その取材手法についての手引書でもあるわけだ
ついでにもう一つ読んでみた
これまた恐ろしい話である
イシグロの初期の翻訳本を読み直してみた
イシグロが日本人の両親のもと長崎に生まれ、
その後幼少期にイギリスに渡り、
英語を母国語として育ったということは皆が知ることである
それを踏まえると
この2冊の小説は実に興味深い
元々日本人というイギリス人が英語で書いた文学を
日本語に翻訳されて私ら日本人が読むわけである
しかも2作品とも日本が舞台で登場人物もほぼ日本人。
戦後の価値観の大変換が物語の下地にある
どちらがいい、悪いではない
彼の他の作品でもよく感じることだが
時代に翻弄された人々に対するイシグロの眼差しは深く、
そして優しい
恐らく日本をよくは知らないイシグロの描く日本の風景は
何だか微妙にフワフワしている
それは彼の生い立ちと関係があるのかもしれない
面白い小説だと聞たので読んでみた
映画や漫画でも人気を博したそうだ
確かに一気に読める物語ではある
しかし山岳モノはノンフィクションの方がよっぽど小説的である
もう一回、『凍』でも読んでみるか
ふとそんな気持ちになった
今、改めて読むと
簡潔でシャープな文体が
ちょこっと志賀直哉風である
後で知ったが
小林多喜二は志賀直哉を師と仰いでいたらしい
なるほどそうかと合点がいった
小林多喜二の壮絶な生き様(死に様)は
近代日本の生々しい歴史として
記憶し続ける必要がある
もう古い本の部類になっているだろうが、
ようやく読めた
思ったよりわかりやすく書かれていた
期待と不安の未来図だが
変化の時代に必要なのは
遅れまいと急ぐよりも
おかしくないかと引いて見る冷静さではないかと思っている
そんなこと言ってるから
私はいつだって時代遅れなのである
ノートルダム大聖堂の衝撃映像を観て
思い出した人もいるかもしれない
金閣寺も5年で再建している
店と家の往復の毎日に
体の奥底が退屈さでも感じていたのだろうか
無性に冒険モノ、それもノンフィクションを読みたいと思った
チベットの秘境に挑むに至った背景とその顛末
スリリングな単独行を綴ったこの文章は
かなり前のめりで、少し空回り
それもこの冒険に対する著者の思いの強さであろう
著者のモットーは
『誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、
それを面白おかしく書く。』
まさにその通りの本である
結構笑えたのでもう一冊彼の本を読んでみた
船戸与一とのミャンマー珍道中
時折登場する船戸与一の言動が可笑しくて仕方ない
それにしてもミャンマーのお国事情を
江戸に置き換えるとはうまいやり方である
多分、沢木耕太郎は久しぶりである
ここしばらくは離れていた気がする
沢木耕太郎40代中盤から現在までのエッセイ集である
今まで読んだ彼の様々なノンフィクション、エッセイの登場人物が
懐かしい形で登場していた
年齢もあるのか
かつてのエッセイ集に比べると
どことなく落着きを感じた
落ち着いてはいるがベースは変わっていない
それに比べて自分はどうか?
ふと、そんなこと考えてしまった
知らなかったが
小説もいくつか書いているらしい
彼得意のボクシングものもあるそうなので
近々読んでみるつもりだ
BSの番組表を見ると
一週間ほど後に放映されるとあった
小学生の時に劇場で観て
トラウマに近い記憶となっている
一週間後とはちょうどいい具合である
ちょっと予習というか復習というか
記憶を整理することにした
『解読』という言葉が実にフィットしている
この映画におけるコッポラの意図を
立花隆の知性と感性がゴリゴリと暴いていた
その後、恐ろしく久しぶりに観たこの映画は
解読書のおかげもあって思いの外スムーズに理解できた
米英の古典文学にあまり馴染みのない、
私のような普通の日本人がこの映画を理解するには
この本の助けが実に有効である
そんなことを思いながら
またもう一度、
この解読書を読んでいる
ちなみにトラウマは、癒えていた。
『賢者の贈り物』ってどんな物語だったっけ?
まるで忘れてしまっていたので改めて読むことにした
О・ヘンリー以外の作家の作品も一緒になった、
実に都合のいい短編集があったので取り寄せた
『賢者の贈り物』は最初の2行で筋を思い出した
せっかくなんで最後まで読んだが
貧困の中、こんなに相手を思いやれるもんかいな
結果的に分かり合えるとしても
最初は相手を責めるか、自分を責めるのが現実ではないか
そんなひねた思いを抱いてしまった
『賢者の贈り物』も含め、この短編集は
1900年前後の作品ばかりである
そんな昔の作品なのに少しも古びてないのが驚きであった
これは作品の秀逸さもあるが、
翻訳の妙でもある、
そう思った
繁華街に出向くことはほとんどなく、
昼夜どっぷり住宅地で過ごす私であっても
外国人を見かけることは結構ある
短期長期いろいろあるようだが
暮らしている方も多いようだ
国籍人種関係なく、
お互いを尊重する社会になるには例えば何が必要だろう
柄にもなくそんなことを思ったことがある
一般的には『相手を知ること』が模範解答のような気がするが
私のようにボーっと生きている人間はそれ以前に
『日本を知ること』が必要である
そんなきっかけで軽く手を付けた『仏教』だが
日本人としてのアイデンティティー再考の次元を軽く超え、
めくるめく哲学の世界へと私を誘っていった
現実的な心理学でもあり、科学でもある
カジュアルな本でまず基礎勉強
ダライ・ラマ14世との対談が興味深かった
以前おぼろげに読んだヘッセの『シッダールタ』を
もう一度読みたい衝動に駆られた
仏陀と同じ名だが自伝ではない
フィクションである
長い長い時を経て
仏陀の4つの教え(諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 一切皆苦)が
主人公の腹に落ちる様を描いている
かつて読んだ時より遥かに沁みた
仏陀のメッセージが現代社会にそのまま有用かは疑問だが
使えるものだけ使えばいい
いったいどんな人が購入するのだろう?
大昔、ロボット型ペットaiboが世に出た時の最初の感想である
値段は高いし、
ペットに馴染みのない者としては全くの意味不明である
だが、その意識が若干薄れた
最近のaiboの宣伝を観て、
一匹いたらさぞや楽しかろう、いや癒されろう、
そう思ってしまったのだ
いつか読んだ未来に向かってる
ふと、そう思った
『動物農場』で作られた仕組みは
『1984年』で冷徹に運用されていく
知っておく必要のある、ディストピアである
何しろレトルトカレーを常温でそのままストローで食べる人である
彼の本を理解できるかドキドキしながら読んでみた
カタカナ文字だらけで最初は面喰ったが
ギクシャクしながらも何とか読めた
概ね違和感なく読めたと思っているが
それが彼に共感しているのか
それとも彼の口車に乗せられているのか
それがよくわからなかった
いつかやってみよう、
と思ってはいるが
まだやってない
少し前に民放で『ハゲタカ』というドラマがあった
NHK版を見損なった経緯もあったので
今度は観てみた
シリアスなドラマを期待してたが
ちょっと漫画的であった
3回ほど観て小説に切り替えた
小説の方がよりシリアスで
より当時の金融事情について丁寧だと思ったからだ
まさかのシリーズ物で
それぞれ上下巻だとは思わなかった
因みにシリーズはまだまだ続いてるらしい
苦労して読んだ感想としては
やはりこちらも漫画的だったということだ
勝手に何か妙な期待を持っていたようだ
とりあえずハゲタカについてはもう腹いっぱい、
そう思ってしばらく経ったとある日
店から帰ってテレビをつけたら
NHKでハゲタカの再放送をやってた
またハゲタカか。
と思いつつ興味本位で観てみたら
設定を大胆に変えていて
展開が面白かった
物語も役者の演技もシリアスで、
作り手側の意気込みがうかがえる
まだ序盤ではあるが、
この秋期待のドラマである
11年前のやつだけど。
彼の作品をもう一冊読んでみようと思った
医療サスペンスではあるが
きちんとヒューマンな部分もある
だからもうちょっと優しいタイトルにできないのかな、なんて思ったが
ま、ストレートな感じが良いと判断したのだろう
先日読んだ『閉鎖病棟』よりエンターテイメント性は強かった
精神病院を舞台にした物語である
そこでは様々な事情で入院する患者たちが
それぞれの事情に合わせて暮らしている
必要以上の描写はなく
語り口も淡々としているが
著者の眼差しは途方もなく優しい
人を人として当たり前に見ることのできる人なのだろう
ジャンルとしてはサスペンスになると思うが
単純に筋で読ませるだけの小説ではない
心の深いところにしっかり跡を残してくれる小説である
アニメーションで話題になり、
少し前は実写でテレビドラマにもなっている
いずれも観ていないのだが
先日、コミックで観る機会があった
つらく悲しい時代であっても
そこには当然生活がある
涙もあったが笑顔もあった
戦争を描いた物語には苦しみ、悲しみメインの直球モノが多いが
この物語はいわばチェンジアップである
いい意味で外された感がある
それは著者の意図なのかもしれない
不思議な読後感であった
最近地上波で放送があったので
ちょっと話題にしてみたら
原作を持ってるという若者がいた
社会現象にもなった本というか映画である
興味があったので借りて読むことにした
他人との関わりを拠り所に生きるのはあまりに不安定、
だからといって
自分の殻に閉じこもりすぎるのはやっぱりもったいない
若者は特にだが、
自分がどちらか側にいるのなら
そうでない側にいる自分に挑戦するのも
何か面白い発見があるかもしれない
とはいえ、馴染まなかったら無理は禁物
自分に正直が一番自然である
読後何となくそんな感想を抱いてしまった
けっこう好印象の青春小説である
長編と思いきや短編集で
重いサスペンスと思いきや
やや軽め、技巧派のサスペンスであった
ブラックユーモアともとれる
文章の作りにどことなく
古典的な匂いが感じられる短編集であった
金融犯罪を扱った小説で悪党が主人公
いわゆるピカレスク物である
手形割引を生業とする天才詐欺師の物語で
知恵もすごいが度胸もすごい
でも一番何がすごいかというと、
実話がベースというところである。
前回は国語と日本史で今度は算数である
おもしろい本を見つけた
『科学をあなたのポケットに』がキャッチコピーの
ブルーバックスシリーズである
小学生の時、何冊か友人たちと読み合った思い出がある
あの頃の多くの少年たちと同じく私も科学に多少興味があったが
脳がついていけなくなったのだろう、
いつの間にかゴリゴリの文系になった
さて本書である
数学でなく算数というところが実に楽しい
加減乗除で少しずつ解に近づくあたりは
まさに推理小説であった
幾つかエピソードを知らないではないが
実際どんな物語なのかはほとんど知らない
一度通して読んでみたいと思わないではないが
原文で読むほどの知性も根気も持ち合わせていない
こんな私向けに都合のいい現代語訳が見つかった
公家、武家、皇族等々華麗なる登場人物のオンパレードで
どれが誰なのかうまく掴めず読み始めは多少苦労したが
リズムを意識した文章が助けとなって
何とか最後まで読むことができた
軍記モノとして誉れ高い物語だが
生臭い政治モノとも読めた
少年犯罪を扱った小説・ノンフィクションをそれほど読んだわけではないが
この小説はひとつの到達点ではないかと私は思う
この物語に『答え』はない
皆、加害者であり被害者である
生半可な考えは許されないし、そもそも思い浮かばない
私にできるのは、この小説の登場人物に寄り添う、
ただそれだけである
重厚な映画である
この手の映画を観た後は普通原作を求めない
映画だけで十分である
だが、少し前に『PART2』を久しぶりに観て
そもそものストーリーをはっきり記憶していないことに気付いた
『PART1』をまた観るのもいいが
ここはひとつ原作を読むのもいいかもしれない
文庫本にちっちゃい文字でびっちり上下巻
そんなにたくさんエピソードあったかな
そう訝りながら読み進めた
新鮮な発見があった
ビト―・コルリオーネの若き日々が描かれていたのだ
つまりこの原作は『PART1』はもちろん、
『PART2』の一部の原作も兼ねていたわけだ
どおりで映画の『PART1』と『PART2』には一貫性があったわけだ
また、原作ではファミリーの顧問弁護士トムの心理が多く語られていた
映画では最初から最後までクール極まりないキャラだが
原作では意外と初心である
長いかな、と思ったが結構すぐ読めた
読後はファミリーの幹部気分である
ちょっとやそっとじゃ動じない
と思った矢先、
店の明かりに誘われて外からカナブンが入ってきた
めちゃくちゃ取り乱した
台湾の歴史に生きた一族の物語である
国共内戦など何かと重いテーマを扱っているわりには
文章が意外に軽い
これは台湾にルーツを持つ著者だからこそ
許されることかもしれない
『流』とはうまいこと付けたなと思う
物語にぴったりである
地元福岡のとある私立大学ではここ数年の間に
直木賞・芥川賞の作家を3人輩出している
一人は文学部で、その他は経済学部、商学部と
出身学部も様々である
地元ゆかりの作家だし、
機会があったら1冊ぐらい、と思いながらも
読めずじまいでずいぶん経つ
先日、時間がないなか図書館に本の返却に訪れた
2分で出ないと店に間に合わないが
何か一冊だけ借りてみようと本棚を覗いてみた
偶然にもすぐ目に付いたのは
前述の直木賞作品である
時代小説の気分ではなかったが
これはいい機会と読むことにした
ベースにあるお家騒動の事情がすぐには呑み込めず、
ページを遡って確認したり、
主人公に対し、こんないい人いるのかよ、なんて訝りながら読んでたが
気付いたらほぼ1日で読み終えていた
気付かぬうち著者の筆に乗せられていたという感じだ
とりあえず、読めてよかった
昔読んだ本を読み返そうと
積み重なった本の塊を解体していると
実に美しい装丁の文庫本が目に留まった
もう一度読むことにした
泣けるほどの瑞々しい感性
そして、それを落とし込む美しい文章
読む年齢で感じ方が違うのかもしれない
以前読んだ時をはるかに超える感動であった
久しぶりに向田邦子のエッセイが読みたくなった
彼女の文章を読みたくなる時は
美文に飢えてる時だと思う
以前、向田邦子と様々な著名人との対談集なるものを読んだことがある
その中で彼女が自身の文章について語っている
彼女の文章のルーツはドラマの台本で、
といってもセリフではなく、
セリフとセリフの間の説明書きなのだそうだ
スパッと潔く、無駄がない
なるほど納得である
過去をからかったパロディというより、
現代への警鐘、風刺である
悪しき歴史を繰り返さないためにできる唯一の方法は
忘れないこと、である
そういう意味で、
今、
この現代、
このような形で、
ヒトラーを扱うことは
アリかもしれない
パロディ小説とされてるが
笑っていいのかどうなのか、
迷う自分に嫌悪する
小説の出来としては
ちょっと長い、そう思った
サッカー日本代表監督に西野朗氏が就任したということで
『マイアミの奇跡』の裏側にあった物語を思い出した
なかなか赤裸々なノンフィクションだったと記憶している
70年代の英ラジオドラマのノベライズのようで
皮肉たっぷりのブラックジョークが満載である
知性に裏付けされたナンセンスギャグに
マニアックな論理展開。
好きな人にはたまらない世界観であろう
しばらくしたら続編も読むとしよう
江戸時代に松前藩からアイヌ有力者宛に出された文書が
ロシアで見つかったとのニュースがあった
和人とアイヌとの交易に関し、
松前藩がアイヌ側に協力を要請している文書だそうだ
当時の原本としては最も古く、大変貴重なものらしい
このニュースを見て真っ先に思い出したのが
船戸与一の『蝦夷地別件』である
見つかった先の文書が1778年に出されたもので
『蝦夷地別件』のベースにある「国後・目梨の乱」は
そのわずか11年後の1789年。
小説に描かれていたアイヌの悲劇を
今少しずつ思い出している
映画より先らしいので
いわゆるノベライズではないらしい
とはいえ、
映画とほぼ同時進行だったようなので
原作とも言えない
つまるところ、
脚本の小説化というのが一番近いのかもしれない
ひょんな経緯でこの本を手元に受けた
社会現象にまでなった映画の小説版だし、
内容くらい知っててもいいかと気軽に読んだが
予想外の周到な物語に思いっきり意表を突かれた
どうしても大林宣彦の『転校生』が頭にちらついていたのだ
なるほど、下地がそれなりにしっかりしているから
映画も好評なのだろう
遅読な私にしてあっという間に読み終えた
そしてその3時間後、地上波で映画が放送された
最強の予習をしていたので
すいすい事情が呑み込めたが、
映画だけだったらこうすいすいとはいかなかっただろう
小説版も含め、この『君の名は 。』というアニメーション映画は
プロデューサー、監督、音楽担当、3者の
手間暇かけた共同ワークなのだろうな、
そうつくづく思った
ナチス強制収容所での体験を
心理学者としての視点から書き綴った魂の書である
どんな言葉をしても
私がこの本について説明すると空々しくなってしまう
人類として大切な書、
こう書くので精いっぱい
明治から昭和にかけての若松(現在の北九州市若松区)が舞台である
石炭積出港として日本一、
暴力都市としては日本有数、
そんな当時の若松で
冲仲仕のリーダーとして荒くれ達をまとめ上げた、
玉井金五郎、マン夫妻の怒涛の人生
この夫妻はもとより、登場人物は実在がモデル
ちなみに著者火野葦平は金五郎夫妻の長男でもある
といって身内自慢の物語ではない
人生録のような物語だが
実に生き生きとしたエンターテイメントである
一気に読める任侠ものである
余談だが
金五郎夫妻の孫にあたるのが中村哲
アフガンで医療活動をする骨太なNGO、
ペシャワール会の現地代表である
今は海浜地区の開発などで多少活気が戻ってきてると聞くが
エネルギー革命後の若松の経済衰退は甚だしく、
『花と龍』の喧騒はない
だが、こんな生き生きとした時代があったんだと思うと
何とも誇らしい気持ちになる
何故かって?
実は私は若松生まれなのである
暮らしたことはないのだが。
学生時代に読んだ『2039年の真実』が
『2017年の真実』になっていたとは知らなかった
映画『JFK』の影響もあってか
ケネディ暗殺に関する機密資料の全面公開が
1992年に25年後の2017年にすると前倒しになっていたらしい
とはいえ、
機密資料の公開は期日を前に既にかなり為されてるそうだ
今月26日の全面公開をトランプは拒否するつもりはないらしいが
果たしてどれほどの真実が出てくるのやら
なぜ豊かな国と貧しい国が存在するのか
それは文化や地理、為政者の無能などが理由ではない
政治である
一部のエリート層が支配する収奪的国家と
議会などを有する、国民すべてに権利が認められてる包括的な国家
この違いである
そして包括的な国家は公平な選挙がベースにある
民主主義とは国民に主権があるということ
つまり民意というものがしっかり反映されないといけない
ということで明日は総選挙である
個人的には
今度の選挙は議席数より、
各政党の得票数が気にかかる
来たるべき国民投票の指標だと思っている
ちょうど『忘れられた巨人』を読み返していたので
少し驚いた
といっても驚いたのはそのタイムリーさに対してであって
イシグロがノーベル賞を獲ったことに対してではない
彼の翻訳本は一通り読んでいる
これほど静かに深い余韻を与える作家はそうはいないと思っている
ノーベル賞のすごさはよく知らないが
彼の作品が世界中で称賛されること
それは至極当然なことだと思う
何となく戦国時代をおさらいしたくなり
それには関が原がうってつけだと
久しぶりに司馬遼太郎を読んでみた
読んでるうちに知ったのだが
近々映画になるらしい
相変わらず人物に好き嫌いがある、
久々に司馬遼太郎を読んで思うところである
ようやく読めたウルドの本である
やや自虐的でユーモア溢れる文章がとても楽しかった
バッタの研究も興味深かったが
モーリタニアでの暮らしぶりも大変面白かった
『クレイジージャーニー』あたりに出れるんじゃないかな?
社員をファミリーだと言った会社である
あれほどの業績不振でも
Sonyのリストラは他の企業とは一味違うはず
そう思っていたが
ちょっと驚いた
いろんな事情があるとは思うが
なかなかえげつない
山一自主廃業の裏側を克明に描いた渾身のノンフィクション
多くの社員が再就職に奔走する中、
社員や世間へのけじめとして会社に残り、
自主廃業に至った原因の究明に当たった精鋭達のドラマである
損失補てんに簿外債務、
今では考えられないお粗末なコンプライアンス・企業統治であるが
昨今の東芝問題などを考えると
まだまだ昔話とは言えない、そんな気がする
映像化は当事者にやんわり断られたと本には書いてたが
実際にはWowowで連続ドラマ化されたようだ
面白い金融ノンフィクションがあると聞いていたのだが
酒に酔っていたこともあってタイトルを忘れてしまった
作者も覚えてない
こんなときは通常、誰かに再確認をして本を取り寄せるのだが
確かこんなタイトルだったはずと、
今回は確認をせずに取り寄せてしまった
結果届いたのはまったくの別物で
しかもノンフィクションではなくフィクションであった
シンガポールが主な舞台の金融サスペンスである
試しに2~3ページ読んでみた
ノンフィクションを読む気満々だったので
フィクションの世界に中々入っていけない
ありきたりの漫画のようでもある
縁がなかったと書棚に一旦収めようとしたが
他に読む本もないのでやっぱり読むことにした
意外だった
面白かった
登場する税務のテクニックが今も使えるのかわからないが
物語の展開も含め小気味良かった
金融・税務の知識に長けた作家らしい
もう一冊彼の本を読んでみる気になった
デビュー作だからか、
金融・税務に関する説明が丁寧で
物語も練りに練った感があった
読み応えも十分。
めっけもんである
『ウルドが本を出してる!』
ウルドを知る共通の知人より興奮気味のメールをもらった
平積みされてる彼の本を本屋で見つけたらしい
その知人とは少し前に彼について話したばかりである
私も驚いた
出会いは一昨年、城島の酒蔵開きのときだ
一緒に蔵開きに行くメンバーの一人が大学時代の友人だと連れてきた
何処でも寝れるし何でも食えるといった風な何ともワイルドな出で立ちで
アフリカ帰りの昆虫博士なんていうから一瞬で好きになった
もらった名刺に『ウルド』とあったので質問すると
アフリカ人から授けられた、
『~の子孫』の意をもつミドルネームとのことだった
現地で熱い物語があったに違いない
こういうエピソードだけでもワクワクする
たった一度だったが
いっぱい飲んでいっぱい話して
最高の出会いだった
とにもかくにも本を読むことにしよう
すごい表紙だ
やっぱりウルドただ者じゃない
ランチの後、用事があって自宅へ帰ったら
家の前の河川が氾濫していた
駐車場に停めてある自家用車も水没している
唖然としながら腰まで泥水に浸かって歩いていたら
何やら水中に沈んだものを引き上げてる連中に出会った
かなりの力仕事のようなので手伝った
意外にも楽に引き上げられたのだがそれが何かがわからない
と、ここで目覚めた
こんなにはっきり覚えてる夢も珍しい
ようやく読む時が来たようだ
学術書を兼ねているためか恐ろしく読みにくい
だが、怯むことはない
まともにフロイトと対峙しようと思わないなら
つまり、フロイトの説さえ知れたらいいと思うなら
案外読みやすいのかもしれない
先人の夢に関するあらゆる説に疑問を呈し、
次第に自論を説いていく前半
そして、自論が如何に理に適っているかを
いろんな例を使って畳みかける後半
いずれもその筋のインテリからのツッコミに備えた抗弁である
突っ込むつもりのない私のような一般人は
前半と後半の間にある彼の説だけ知っとけばいい
それはつまり、
夢とは『無意識のゾーンにメモリーされた記憶の数々が、
変換・圧縮されて顕在意識に現れる現象で
主に願望を充足するもの』ということだ
因みにこの変換というのが曲者で、
夢において願望はストレートに現れないらしく、
屈折した形(例えば逆の形)で現れるそうだ
なるほど。
と言うことで冒頭の夢を素人なりに分析してみよう
河川の氾濫は当然私の願望ではない
また、氾濫してほしくない、と強く願っているわけでもない
だから河川の氾濫は直接的な願望とは関係なく、
願望のための背景と考えた方がよさそうだ
河川が氾濫することによって得られる願望とは何ぞや?
と考えて思い付いた
車である
頓着はないほうなので
同じ車に長く乗ってる
気に入ってはいるがそろそろ新しい車を、
なんて心の深いところが欲しているのかもしれない
だって水没すれば否応なく買うことになる
また、水中から何かを意外と楽に引き上げられたというのは
その気になれば案外楽に解決すると考えていることの現れではなかろうか
こんなんでましたけど
どうでしょう、フロイトさん
特に予定もなかったので
日曜日は午前中から本を読んだ
ちょうど前日、お客さんから本を借りていたからだ
前情報ゼロの本だったので
ある意味楽しみだったのだが
少し読んで、これはまずいと後悔した
恋愛モノのようだったからだ
あまり好んで読む方ではない
とはいえ、陳腐なものではなさそう
恋愛モノの形を借りた何か別のメッセージがあるようにも思えた
腹を決めて読み進めた
一見昼メロか韓国モノと見紛いそうな恋愛モノだが
実際は『過去は変えられる』がメインテーマの純文学であった
過去の苦しみはその未来、つまり今の心のありようで救われることもある
過去はその未来によって
いい意味でも悪い意味でも解釈が変わるものだ、ということである
『未来は変えられる』とはよく言うが
『過去は変えられる』とは面白いことを言う
だが、同じことを言ってる気もした
最後のページを読んだところで時間を見たら
日曜日が過ぎて一時間ほど経っていた
珍しく集中して読んだみたいだ
翌月曜日のBGMは
本の影響か、バッハのギターをよく流した
涼やかで気持ちよかった
古本屋の前を通りかかったのでちょっと寄ってみた
ゆらゆら本棚の前を流れていたら
ボブ・グリーンのコラム集を見付けた
彼が駆け出しの頃のコラムを集めたものらしい
ちょっと気になったので読むことにした
当たり前のことかもしれないが
彼のコラムの主役はあくまでボブ・グリーンである
取材対象ではない
だからいい話も結局最後は彼の手柄になる
何ともズルい男である
よかったらどうぞ、といただいた本の中に
船戸与一があった
20代のある時期よく読んだ作家だ
歳を取るにつれこの手の冒険モノからは遠ざかる
懐かしさもあって読んでみた
虐げられたマイノリティに目を向けるところが
やっぱり船戸与一である
今回はベトナムの少数民族モンタニャール
ベトナム戦争後のインドシナが舞台で
幾つかのエピソードが次第に結びつくカタルシス系の物語である
結末はあっけなく感じた
それは船戸作品特有のクールさとも言えるが
パターン化している残念さとも言える
私にとって何の馴染みもない、見知らぬ武蔵野の地のことなのに
ずいぶんと楽しく読むことができた
それは詩情に富み、リズムにも富んだ国木田独歩の文章のおかげかもしれない
魅力あふれる身近な自然、
自分にとっての武蔵野を
夢想し散策している気になった
上質な短編集である
何かと騒がしい朝鮮半島であるが
隣国でありながらその歴史をよく知らない
これはマズイと歴史をおさらいしてみた
シンプルにまとめた良書と聞いていたが
そもそもの教養がないものだから
読むのに骨であった
大国に翻弄された歴史に気の毒さを感じた
それは今も続いている
連休をどう過ごされたのかとお尋ねしたら
平戸に行ったとあるお客様が答えた
すると、隣で飲んでた別のお客様が
平戸ではないが昔五島に行った、
五島の教会には純粋さがあるんだ、と語られた
ハッとした
ちょうど読み終わったところだったからだ
あまりにも苦しい物語である
ロドリゴが最終的に至った心境を
神を持たない私があれこれ言うことはできないが
弱い自分に誰かが寄り添ってくれていると思うと
それが神であれ誰であれどこか救われる気にもなる
読後感はこの文庫本のカバーデザインに表れている
ふと立ち寄った書店の棚に川端康成を見付けた
よく考えたら教科書レベルの本でしか彼の小説は読んだことがない
興味もあって手に取った
短編とは思えない広がりを持つ物語で
青年と少女の淡い恋情を滲ませた文章も実に美しかった
それになによりタイトルがいい
そんな話をお客さんにしてみたら
だったら『檸檬』も気に入るのでは?とご提案いただいた
驚いた
なぜかというと、
まさに今、読んでる最中だったからだ
心身が衰弱した者に観える景色を
感性豊かな言葉で書き表している
この本により
多くの迷える魂が救われたと思う
人間やってくうえで
大切な本と言うか、重要な本だと思った
帰国子女の友人からもらった探偵小説だが
原書であるため途中でリタイヤしていた
比較的簡単な文法と感じたが単語がいけない
ちょっと読んだら棚に戻しを何度となく繰り返し、
結局まだ読み終えてない
ここでちょっと方向転換
まずは翻訳本を読むことにしよう
この手のB級なエンターテイメントは
たまに読むと気持ちが良い
腕っぷしにモノを言わせた、
スペンサー流の事件解決方法にも思わずニンマリしてしまう
よし、今のうちに再トライである
ふと『剃刀』を読み返してみたくなり、
手近に置いてる志賀直哉の短編集を捲ってみた
だが、勘違いだったようでこれには載ってなかった
すぐ別の短編集を取り寄せて漸く読んだ
短い物語の中に見事な心理描写
やっぱ、見事である
外国文学を読む際思うのは
翻訳者による創作、とは言わないまでも
何らかのバイアスがかかっているのでは?ということ
その疑問が晴れた
翻訳に興味のある方々にとっては金言だらけの本だと思う
まるで英語のできない私が
ちょっと原書で読んでみるかなんて
一瞬でも思ったのが恥ずかしい